日本を代表する女性登山家、谷口けいさんが山での遭難事故で亡くなられました。
谷口さんは「登攀ラインの美しさ」という新しい視点を持ち、登山に挑戦し続けていました。
私たちは大きな喪失感を感じています。遺族の方々と谷口さんと親交があったすべての方々に心よりお悔やみを申し上げます。

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アルパインクライマー 谷口けい × 星野リゾート 星野佳路

人生は冒険の旅

2014年9月、「世界の山を巡る旅人」と自らを称する
谷口けいさんをお迎えして、対談を行いました。
旅には冒険の要素も大切と語ってくださった谷口さん。
そのメッセージを改めてお読みいただければと思います。

谷口けい

1972年生まれ。和歌山県出身。日本を代表するアルパインクライマー。世界の高山を登頂する一方で、アドベンチャーレースにも出場。優勝入賞歴暦多数。野外研修ファシリテータ―、山岳ツアーリーダーなども行う。都岳連レスキューリーダー、日山協自然保護指導員でもある。初の海外遠征で北米大陸最高峰のマッキンリー峰の登頂成功に始まり、2008年にはインド・カメット峰未踏の南東壁に初登攀。これに対して、平出和也とともに日本人として初のピオレドール賞が贈られた。2012年、前年のナムナニ未踏ルートの登攀に対し、ファウストA.G.アワード2012にてファウスト挑戦者賞を受賞。

「ライト」「クリーン」と呼ばれる、
谷口さんの登山スタイル

星野

谷口さんは、登山家としてフランスでピオレドールという賞を受賞されています。ピオレドールって山登りのスタイルに関する賞だと聞いたんですが。
山登りのスタイルって何なのでしょう。どうもライトとか、クリーンとか色々あるようです。しかも、谷口さんのスタイルは他の人と随分違うらしいですね。

谷口

ピオレドールは、登山界のアカデミー賞といわれているんです。
登山というのは勝ち負けがないものなので、アカデミー賞という例えはすごく言い得て妙だと思っているんですが、いま星野さんがおっしゃられたように、スタイルを評価する賞なんですね。
例えば、自分の荷物はできるだけ自分で背負うのが「ライト」というスタイルです。当たり前と思われるかもしれませんが、クライマーの世界では、大勢の人に手伝ってもらって、食料や燃料を増やして登るケースも多いんです。その方が安全性も高まるし、快適に登れますが、時間もお金もかかってしまいます。
そこで私が追求している「ライト」というスタイルは、自分が生存できるギリギリの荷物量を見極めて、できるだけ裸一貫で自然と対峙することなんです。そのための工夫をするのが、醍醐味なんですね。例えば二人で登ったとすると、一人目がくさびを打ち込んで登り、二人目は、一人目が打ち込んだくさびを使って登ると同時に、足場にしたくさびを回収していけば、もう一度それらを再利用できますよね。

対談直前に約1ヵ月行っていたアラスカの氷河を登る谷口さん。氷と岩のミックスラインにルートを探る

星野

なるほど。それがいわゆる「ライト」や「クリーン」と呼ばれるスタイルなんですね。最小限の道具で、しかも山にそれらを残さず、回収してしまう。

谷口

そうなんです。特に「クリーン」というスタイルが評価されるのは、自然の景観をできるだけ変えないまま登っているからなんですね。それは自分だけじゃなく、次に山に登る人のためにもなるんです。私のスタイルは、そういうところも評価されました。もう一つ、ピオレドールというのは冒険的要素を重視するんですね。

星野

冒険的要素ですか?

谷口

はい。受賞した次の年に審査員をやって、意味がよくわかったんですが、要するに、誰も登ったことのない山、それも危険な場所を登ることが評価されるんです。レスキュー隊が助けに来ることができる場所を登ってもダメなんです。
例えばヨーロッパアルプスだと、どんな山であっても救助手段が確保されているので、登っても評価されないんですよ。私は、チベットとの国境付近にあるインドヒマラヤのカメットという山に登ったことでピオレドールを受賞したんですが、インドでは助けを呼んでも1週間はレスキュー隊が来ないと言われていて(笑)。カメットは2005年に、初めて外国人に開放された山で、それまでは軍が入場者を制限していたんです。

星野

なるほど。誰も登ったことがないという条件も満たしていたんですね。

谷口

はい。それと、美しいラインで登攀できたということも大きかったです。

星野

それも気になっていたことなんですが、登攀ラインの美しさというのは、どういった基準で決められるものなんでしょうか。美しい景色が見えるとか、どうもそういう基準ではないみたいですね。

谷口

言葉で言うのは難しいんです。ただ、それぞれの登山家が考える理想のラインというのは、山の地図を見た時に、自然と浮かび上がってくるものなんです。
私が受賞したラインは、1本のまっすぐなものでした。登る前に山の写真を見たんですが、山の南側にとてもきれいな壁面があったんです。そのど真ん中に溝が入っていて、もうこの溝を登るしかないなと。
ただし、安全確保は絶対に必要だと思うんです。その時はパートナーと一緒に、現地で雪崩の大きさや頻度などを綿密にチェックして、安全を確認してからその溝を登ったんですが、安全が確認できない場合、例えば上の方に大きな雪のかたまりがあったりしたら、そこは登ってはいけない。パルムドール の審査員をしたときも、どんなに美しいラインであろうが、大きなリスクを取っているチームは評価しませんでした。そういったクライミングを評価すること、そういった登り方が美しいんだと次世代のクライマーたちに伝えることと一緒ですから。

星野

さまざまな配慮によって、評価の基準が決められているんですね。トップレベルの世界というのはどこでもそうなのかもしれない。

人生は冒険!
旅の冒険をどこまで叶えるか。

星野

冒険というのは、観光業界の人間からすると、ある意味で「夢」なんですよ。谷口ケイさんは色んな山に登っていらっしゃって、ずっと昔から「山に行ってます」という人とは違った身近さがあるなと思ったんですよね。それを知った時、冒険することって、意外と僕らから遠くないんじゃないかと思ったんです。勇気を与えてもらえます。

同じくアラスカでの1カット。闇にならないアラスカの夏の夜。宵から暁へと移りかわる中での登はん。

谷口

ありがとうございます。でも、人生は冒険ですよね。経営もある意味で冒険と言えるんじゃないでしょうか。

星野

確かに、いろいろリスクはあります。
旅行業界の話で言うと、今、風向きがちょっと面白いというか、ある意味変な方向に行っているんですよ。旅行に「冒険」の要素が必要になってきてるんですね。

谷口

なるほど。

星野

ですが、冒険といっても、危険なものではないんです。「scripted vertical」と呼ばれているんですが、直訳すると「切り取られた眩暈」という言葉で、要するに「安全が確保されたスリル」を味わえる旅が流行っているんですね。例えば、最近だと、アメリカの旅行エージェントが、南極大陸へのツアーを企画しました。アメリカの南極基地へ物資を運ぶ飛行機の席を二席だけ確保して、その基地で何泊かするんです。そういったタイプの旅行がこれからも増えていくのであれば、将来的にはエベレストへのツアーが企画されるかもしれません。

谷口

エベレストで、登攀が困難な場所に階段が設置される計画が実際に進んでいましたよね。今年の4月に雪崩で10人以上の人が亡くなった事故があって、その計画は取りやめになりましたが、その事故がなければ、いずれ階段は設置されていたんじゃないでしょうか。

巨大雪庇のスノーリッジを登りながら振り返ると、氷河と他の岩峰が遥か眼下に。

星野

そう、その話がしたかったんです。ニュースを聞いた時、びっくりしてしまって。いくら安全確保のためとはいえ、エベレストに階段を作るってどうなんだろうと。ああいう計画というのは、登山家の立場からするとどうなんですか?

谷口

中々難しい問題ですが、少なくとも、そういった設備によって山に登るという行為は本来の登山ではないです。

星野

この旅行企画の傾向はアメリカの会社が発端になっているんですが、僕も谷口さんと一緒で、こういった最近の動向に関して、判断がつかないでいるんですよ。マズいんじゃないかと思う一方で、自分もエベレストに登れるかもしれないと期待してしまう。

谷口

月面旅行をしてみたい気持ちと一緒ですよね。

星野

同じだと思います。これまではどうやっても、自分はエベレストには登れなかった。でも、行ける可能性があるのであれば、多大なコストと労力を払ってでも行ってみたい気持ちはあるんです。おそらく、今後はそういうチャレンジをする人が増えていくでしょうし。

谷口

エベレストに来る西洋人ってビジネスマンが多いんですよ。ビジネスで成功する人というのは、やっぱり挑戦が好きですから。キリマンジャロあたりに挑戦するような人は日本でも増えています。低酸素室でのトレーニングなどで登山用の体を作っておくことで、登山の時間を短縮するという工夫も実際に行われています。

星野

もうそんなことが実際に行われているんですね。

山登りの醍醐味は人とのかかわり方を考え、
自己の力量を試すこと

星野

谷口さんは、山登りのどういうところが醍醐味だと思いますか。

谷口

登山って、人とのかかわり方に付いて考えさせられるんですよ。パートナーになった人とは、長い時間をずっと一緒に過ごすので、コミュニケーションが上手くいかなくなることも多い。すごく仲が良い人でも、一緒に山を登ると、しばらくはもう一緒にやらなくてもいいと思ってしまうことがしばしばです。でも、そういった不和の原因を考えることで学べることがあるんです。

星野

それが醍醐味の一つだと。

谷口

あとは、自分の力量を試せることも大きいです。すごく寒くて、怖い状況にどれだけ向き合えるか。例えば、山を登っていると、ここに足をかけてしまったら、もう戻れない、登り切るしかないという状況にしばしば出くわすんですが、そこで大事なのは、パートナーとの信頼関係なんですよ。命がかかっているので、進むときは、お互いに信頼しあっていないとダメなんです。

星野

何かを達成したというよりは、目的に向かう過程の部分が重要なのでしょうか。特に大きいのは、やはり人間関係ですか?

谷口

大きいですね。

星野

谷口さんは、どんどん進む決断を下してしまう方だと本に書いてありました。どちらかというと、パートナーが止める役に回ることが多いとか。

谷口

元来私は怖がりなんです。でも、一度進むと決めたらあまり躊躇しないのかもしれません。

星野

僕も、谷口さんに近いんですよ。でも、本当は、そういう考え方は危険なんでしょうね。

谷口

そうかもしれませんね(笑)。

星野

今後、行きたい場所ってありますか?

谷口

いっぱいありますが、とりあえず今年の目標はエチオピアに行くことですね。
去年、仕事の関係で、青年海外協力隊に協力したことがあって、エチオピアにも行ったんです。エチオピアに山はあるのかなと思っていたんですが、そもそも国自体高地にあることがわかったんですね。標高が4000mくらいで、岩も多い。世界遺産の数もアフリカで一番らしいです。教育水準も高くて、あまり危なくないみたいなので、行ってみたいなと。

星野

エチオピアには登山で行くんですか?

谷口

登山ではなく、クライミングですね。岩に登ります。いまクライマーの間では、長いトレッキングルートが流行っていて、ロングトレイルと言うんですが、ケニアも人気のスポットなんです。基本的には、行ったことのない所に行きたいんですよ。現地の文化も知りたいです。

星野

それが、人を旅にかき立てる原点ですよね。でも、都市に行きたいわけじゃないんですよね。

谷口

基本的には僻地です(笑)。でも、僻地に村はあって、村人達との関わりが面白いんですよね。彼らにとって、山というのは神様であったり、生活の基盤であったりします。そういった考えを聞くのが楽しみなんです。

山登る旅人が教える、
日本の山の素晴らしさとは

星野

日本の山が、世界に誇れる部分って、どこかありますか?

クリエイター名

何と言っても美しさです。すごく急峻で、谷も切り込みが深い山が多い。世界で最も美しいと思いますよ。あとはもちろん、四季があることです。季節によって、景観も恐ろしさも変わりますから。冬は大量に雪が降って、春には全部溶ける。そういった環境は世界にも中々ないんです。

星野

やっぱり、四季があることは日本の特徴ですよね。食べ物にも影響を与えているし。雪は一年中つもることがないから、パウダースノーだし。

クリエイター名

温泉もありますしね。

星野

やっぱり日本の温泉というのは貴重なんですね。

クリエイター名

最近は、温泉につかりにくる外国の方も多いですよね。私もよく、温泉に行くんですが、いつも外国の方がいます。温泉、すごく好きなんですよ。一番行っているのは野沢温泉ですが、北海道やニセコにもよく行きます。

星野

そういった生活が成り立つのが凄いな。谷口さんみたいな生き方をしたい人も沢山いるんじゃないでしょうか。

クリエイター名

でも、日本人はやっぱり定住したがる人が多いですし、貯金を求める人も多いじゃないですか。

星野

アルピニストっていうのは、職業になるんでしょうか。

クリエイター名

実は、山登りは職業になっていないんです(笑)。自分では「山登る旅人」という言い方をしています。
山に登ることでお金を稼げる人は少なくて、たとえば環境保全活動などをしていて、スポンサーがつくという人もいます。山、あるいは登山活動は、私にとってビジネスではないんです。私は普通に働いていますよ。

星野

どんな仕事をしているんですか?

クリエイター名

複数の仕事をやっているんですが、メインでやっているのは、海外のトレッキングのファシリテーターですね。
少しでもお金が貯まると山へ行ってしまうヤツと思われています(笑)。
人間って、何かが豊富にあるとそれを守りたくなるじゃないですか。できるだけ身軽でいたいので、背負うものはできるだけ少なくしたいんです。

星野

まさにライト&クリーンだ(笑)。今日はありがとうございました。

構成: 森 綾 撮影: 萩庭桂太

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