Vol.1この文化を絶やすのはもったいない!
銭湯ペンキ画家になろうと思った

星野:
田中さんにお会いしたいと思ったのは、ある雑誌で田中さんの記事を読んだのがきっかけですね。銭湯って日本文化でしょう。僕は温泉旅館に育ちました。我家の旅館の大浴場にはありませんでしたが、銭湯にいくと必ずペンキ画がありますよね。それが定番アートとして約束されている。この定番アートのために専門家がいて、それを若い人が継いでいってるってすごいことだなぁと思いました。それも継ぐのが親族なわけじゃなくて、女性で美術の世界から来て描いているというのがすごいと。これはお会いしなければならないと思ったんです。
田中:
ありがとうございます。恐縮です。
星野:
どういうところから銭湯のペンキ絵に興味をもたれたんですか?
田中:
私は大学で美術史を学んでいました。卒業論文を書く時期に、何をテーマにしようか迷って好きな芸術家や作品を抜き出していたんです。その中に福田美蘭さんや、束芋さんといった方がいたんです。その方たちが銭湯をモチーフにした作品を作られていて、自分の好きな芸術家が銭湯が好きなのなら、銭湯に行ってみようと思って。そこからペンキ絵の存在を知りました。
ペンキ絵は何で描かれているのか、何をモチーフにしているのかといろいろ調べているうちにひき込まれていきました。福田美蘭さんは、美術史の見方を作品を通じて変えたり、絵の中の登場人物の視点に立って作品を作られたりする方なんです。あるグループ展で、ペンキ絵をモチーフとしたものに参加しておられたんですね。
星野:
ではその企画展に行って見なかったら、田中さんはこの銭湯画の方向にはいかなかったかもしれませんね。

今回の対談場所は江戸川区「第二寿湯」。田中さんが描いた美しい富士山と松原、そしてえどがわ銭湯応援キャラクター「お湯の富士」が。今回の対談場所は江戸川区「第二寿湯」。田中さんが描いた美しい富士山と松原、そしてえどがわ銭湯応援キャラクター「お湯の富士」が。江戸川区浴場組合公式サイト「湯らり江戸川」

田中:
テーマに迷っているうち、思い出したんです(笑)
星野:
卒業論文って大事ですね。何か題材を探すから、好きなものを探すチャンスになったんですね。美術史の卒論で銭湯画をテーマにした人はあまりいないんではないですか。
田中:
意外にいらっしゃるかも知れません。
星野:
日本の芸術のひとつなんだな。
田中:
芸術というより、大衆文化だったり、壁画の一つだったりするんでしょうね。
星野:
美術史をやっていたんですか。絵を描いていたわけではなく?
田中:
文学部のなかに美術史のコースがあるという大学だったんです。昔から絵を描くのは好きで、美大向けの予備校に通ってはいたんですが。現代美術をやるのであれば、美術史をやるのもいいと思いまして。大学時代は全然描いてなくて。銭湯画について調べているうちに、それを描く人の数がどんどん減ってきていて、しかも60歳の方が当時の一番若手で、おそらく100年したらこの文化はなくなってしまうだろうとわかったんです。誰かが動かないといけないけれど、経済的なことを考えると誰も動かないだろうと。じゃあ、自分で動くのが一番簡単だと思ったんです。
星野:
描こうと思った決断の瞬間を聴きたいですね。世の中には、もう職人さんがいないという仕事はいっぱいあると思いますが、自分自身がやろうとはなかなか思わないですからね。
田中:
いくつか理由はありましたが、まず根底に私は自分の人生を計画して考えていなくて、なんとかして生きていけるだろうという思いがあった。それと就職活動をしたときに、不況の時代で思うようにいかなかったり。決断した瞬間は、卒論を書くときに、銭湯画を描く様子を見にいった時に、その後私がついた師匠が本当に素早くわーっと一瞬のうちに絵が変わっていく描き方をしたんですね。明るい色調で、どんどんタフに描いてくリズム感みたいなものが絵に残っていて。見ていて本当に楽しかったんです。それが本当にすごくて、この技術を絶やしてしまうのはもったいないと思ったんです。なんとかしたいと。

最初の3~4年は空を描く。
一人前になったら
すべてを1日で描く。

星野:
就職のように弟子入りしたわけですか。
田中:
いえ、その方の弟子入りの条件が「別の仕事を持て」だったんです。銭湯自体の数も減っているし、経済的に難しいだろうと。別の仕事を見つけて、弟子入りしたんです。
星野:
別の仕事をもって、弟子入りしたんですね。他に弟子は何人いたんですか。
田中:
私一人です。
星野:
一人だけ弟子になって。制作の現場に一緒に行くわけですか。
田中:
はい。初めのうちは見学だけさせていただいていました。そのうちに、荷物を運んだり、制作のために汚れないように浴槽をカバーをしたりという下準備。その次はひたすら、空を塗る作業でした。
星野:
寿司屋の修行みたいな感じですね。空は何年描いたんですか。
田中:
空のみで、、、3~4年位でしたね。
星野:
すごいですね!
田中:
空を描き始めたのは弟子入り後1ヶ月くらいからですね。そこからだんだん描く位置が下がってきて、雲を描き始め、小さな松を描かせてもらったりとか。島に光を入れたり、海にグラデーションをつけさせてもらったり。ちょっとずつ描けるところが増えていきました。
星野:
そこから全体を描けるようになるにはどのくらいかかったんですか。

ペンキ絵で使うペンキは、赤・青・黄・白のたった4色。その場で色を作り、グラデーションやボカシ、陰影やハイライトも入れていくペンキ絵で使うペンキは、赤・青・黄・白のたった4色。その場で色を作り、グラデーションやボカシ、陰影やハイライトも入れていく

田中:
弟子入り中に一度、男湯と女湯のどちらかを描いてみたりとか。両湯描かせてもらったのは7年目くらいでした。
星野:
やっぱり寿司屋の修行と同じくらいですね。面白いですね。それは別に教育プログラムがあるわけじゃないですもんね。
田中:
はい。師匠が様子を見ながら、色々指導してくださいました。
星野:
そうか、銭湯は富士山が両方にあるわけじゃないですもんね。仕切りは下の方だけで、見上げるところは共通だから。こういうパターンが多いんですか。
田中:
そうですね。なので、富士山のない方を描かせてもらうところから。
星野:
最初に富士山側を描いたときは感動したでしょう?
田中:
とても緊張しました。感動というよりも。
星野:
富士山が浅間山になった?(笑)

田中:
富士山に見えなかったかもしれないですね(笑)。今はもうなくなってしまった銭湯なんですが。初めて富士山を描かせてもらったのは、品川区にあった銭湯です。
星野:
それはもったいなかったですね。
田中:
写真は残してあります。
星野:
こういう銭湯の絵は描くのにどれくらいかかるんですか。
田中:
ペンキ絵というのは、他の美術と違って制作の効率が重要です。銭湯がお休みの日の1日で男湯と女湯を合わせて1日で終わらせないといけないんです。昔は1日に2軒描いていたということもあったようですよ。
星野:
1日で描くんだ! すごい!
しかしその場で描くのは1日でも、事前に構想を考える必要がありますよね。構想にはどのくらいかけるんですか。
田中:
初めて描かせてもらう銭湯だと、1ヶ月くらいかけたりします。ペンキ絵があることに慣れている銭湯だと「当日来てくれれば」というところもあります。
星野:
そんなわけにはいかないでしょう。
田中:
そうですね。一度現場は見ておきたいですね。
星野:
オーナーさんがこだわる場合は、小さな絵を描いたりするんですか。
田中:
はい、何パターンか描いていきます。イメージ図があると、何もないときには出てこなかった具体的な要望が出てくるので。
星野:
インテリアデザイナーとか建築家に似てるね。プレゼンテーションするわけですからね。アーティストとインテリアデザイナーの間くらいな感じですね。
田中:
アーティストというよりは、昔の工房の製作と似てるんでしょうね。
星野:
でも出来上がったらアートだし。日本ならではの仕事ですね。僕なら雪山と、小さくスキーヤーを描いてもらうかな(笑)そこにある絵が変化するって、いいですよね。
田中:
「銭湯にいく」ことが生活のルーティーンだった時代に、そのなかの変化を楽しむという意味もあったのだと思います。

構成: 森 綾
撮影: 萩庭桂太